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神戸地方裁判所 昭和32年(モ)1101号 判決

申立人(債務者) 株式会社神戸製鋼所

相手方(債権者) 福井康吉

主文

本件仮処分決定取消の申立を棄却する。

訴訟費用は、申立人の負担とする。

事実

申立代理人は、「当庁が相手方(債権者)、申立人(債務者)間の昭和三〇年(ヨ)第一八二号仮処分申請事件について同年八月八日なした仮処分決定は、これを取り消す。訴訟費用は、相手方の負担とする。」との判決を求め、

申立の理由として、「相手方は、もと申立人の雇傭する従業員であつたが、申立人は、昭和三〇年一月三〇日付をもつて相手方を解雇した。しかるに、当庁において同年四月二一日、相手方(債権者)、申立人(債務者)間の同年(ヨ)第七二号仮処分申請事件について、さきに『債務者(本件申立人)が債権者(本件相手方)に対してなした同年一月三〇日発効したものとする解雇の意思表示の効力は、これを停止する。』との仮処分判決(以下『第一次仮処分命令』という。)が言い渡されたので、相手方は、この判決に基き更に申立人を債務者として当庁に賃金の仮払を命ずる仮処分申請に及んだところ、当庁は、同年(ヨ)第一八二号事件としてこれを審理し、右仮処分判決の存在に拘束されたため、同年八月八日、『債務者(本件申立人)は、債権者(本件相手方)に対し金八〇、〇〇〇円及び同年八月二五日から解雇無効確認訴訟の本案判決が確定するまで毎月二五日に金一六、〇〇〇円ずつを支払え。』との仮処分決定(以下『第二次仮処分命令』という。)をなした。しかしながら、申立人は、前記第一次仮処分命令を不服として大阪高等裁判所に控訴を提起したところ、同庁において同年(ネ)第四八六号事件として審理された結果、昭和三二年八月二九日、『原判決(第一次仮処分命令)を取り消す。被控訴人(本件相手方)の本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。』との判決が言い渡された。このように、第二次仮処分命令は、その発令の前提となつた第一次仮処分命令が取り消されたのであるから、もはやその存立の基礎が失われたものといわなければならない。よつて、民事訴訟法第七五六条、第七四七条にしたがい事情の変更による第二次仮処分命令の取消を求めるため、本申立に及んだ次第である。」と陳述した。(疎明省略)

相手方代理人は、主文第一項と同旨の判決を求め、

答弁として、「相手方がもと申立人の雇傭する従業員であつたところ、申立人がその主張の年月日に相手方を解雇したこと、申立人主張の各仮処分申請事件について、申立人主張の年月日にそれぞれその主張どおりの第一次及び第二次仮処分命令、並びに、第一次仮処分命令取消の控訴審判決がなされたことは、これを認める。しかし、右第二次仮処分命令が第一次仮処分命令の存在を前提としてこれに拘束されてなされたものであるという申立人の主張事実は、これを否認する。右第二次仮処分命令は、やはり相手方が申立人から受けた解雇処分の効力に関し改めて実質的審理を経た上なされたものであるから、その後第一次仮処分命令が控訴審判決で取り消されたからといつて、第二次仮処分命令について取消原因となる事情の変更があつたものということはできない。それ故、本件仮処分決定取消の申立は、理由のないものである。」と述べた。

理由

(1)相手方がもと申立人の雇傭する従業員であつたところ、申立人が昭和三〇年一月三〇日付をもつて相手方を解雇したこと、(2)相手方(債権者)、申立人(債務者)間の当庁昭和三〇年(ヨ)第七二号仮処分申請事件(以下「第一次仮処分申請事件」という。)について、同年四月二一日、「債務者(本件申立人)が債権者(本件相手方)に対してなした同年一月三〇日発効したものとする解雇の意志表示の効力は、これを停止する。」との判決(第一次仮処分命令)が言い渡されたこと、(3)次いで同年八月八日、右当事者間の当庁同年(ヨ)第一八二号仮処分申請事件(以下「第二次仮処分申請事件」という。)において、「債務者(本件申立人)は、債権者(本件相手方)に対し金八〇、〇〇〇円及び同年八月二五日から解雇無効確認訴訟の本案判決が確定するまで毎月二五日に金一六、〇〇〇円ずつを支払え。」との仮処分決定(第二次仮処分命令)がなされたこと、(4)しかるに、第一次仮処分申請事件の控訴審である大阪高等裁判所同年(ネ)第四八六号事件において、昭和三二年八月二九日、「原判決(第一次仮処分命令)を取り消す。被控訴人(本件相手方)の本件仮処分申請を却下する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決が言い渡されたことは、いずれも当事者間に争がない。

してみると、本件の争点は、第一次仮処分命令を取り消した控訴審判決の言渡により、第二次仮処分命令について取消事由たる事情の変更が生じたことになるかどうかに帰着するわけであるが、この点に対する当裁判所の判断は、左のとおりである。

成立につき争のない甲第二号証(仮処分申請書)によれば、相手方が第二次仮処分申請事件において主張したところの要旨は、「債権者(本件相手方)は、債務者会社(本件申立人)の従業員であるが、昭和三〇年一月三〇日不当に解雇されたので、右解雇の無効を主張し当庁に第一次仮処分を申請した結果、右解雇の意思表示の効力を停止する旨の判決(第一次仮処分命令)が言い渡された。しかるに、債務者は、債権者に対し同年二月分以降の月額金一六、〇〇〇円の割合による賃金(毎月二五日に前月分を一括払する定になつている。)を支払わないから、債権者は、当面の生活苦を免れるため、債務者において債権者に対し本案判決の確定に至るまで右賃金を仮に支払うべき旨の仮処分命令を申請する。」というにあり、かつ、相手方は、この仮処分申請事件において第一次仮処分を命じた判決書を疎明資料として提出したことが明らかである。そして、右認定事実と前示当事者間に争のない第二次仮処分命令の主文内容とを対照して考えると、同命令は、相手方が申立人から同年一月三〇日解雇の意思表示を受けたにもかかわらず、両者間の雇傭関係が同日以降も継続しているという認定事実を前提として、相手方の賃金仮払仮処分申請を全面的に認容したものであることは疑がない。

しかしながら、この第二次仮処分命令は、はたして解雇の意思表示の効力の停止を命じた第一次仮処分命令が先行するためその拘束を受けてなされたものであろうか。

元来労働者が自己の受けた解雇処分の無効を主張し、使用者を債務者として従業員たる地位の保全を求める仮処分を申請した場合、裁判所が、「債務者が何年何月何日債権者に対してなした解雇の意思表示の効力は、(本案判決の確定に至るまで)これを停止する。」といつた主文内容の仮処分を命ずることは、実務上ひろく行われているのであるが、かような仮処分命令が何を意味し、いかなる法律上の効果を有するものかという点は、必ずしも明瞭でなく、学者や実務家の間でも見解がわかれている。そのため、債務者がこの種の仮処分によつて仮に形成された従業員たる地位に基き債務者に対し実体法上賃金債権を有すると主張し、右賃金の仮払を命ずる第二の仮処分申請に及んだ場合、裁判所において、一旦前の仮処分で効力が停止されている解雇処分を有効と判断することが許されるかどうかというかなり困難な問題が生ずるのであるが、本件の判断を進めるに当つては是非ともこの点に触れておかなければならない。

まず、一般に仮差押又は仮処分命令は、疎明又は保証によつて被保全権利と必要性の両者が存在することを一応認定した上、強制執行の保全又は本案判決確定までの仮の地位を定めるためになされる形成裁判にすぎないから、かりに確定してもその既判力は、保全訴訟の訴訟物たる形成原因につき生ずるにとどまり、被保全権利の存否に及ばないのであつて、右の一般論は、もちろん解雇の意思表示の効力の停止を命じた仮処処分命令についてもあてはまるわけである。いわんや本件の第一次仮処分命令は、第二次仮処分命令がなされた当時なお未確定であつたのであるから、後者が前者の既判力を受けていないことは明瞭であるといわなければならない。

もつとも、本案判決確定に至るまでの解雇の意思表示の効力を停止する旨の仮処分命令が告知により効力を生じたきとは、かりに未確定であつても、その形成力の作用によつてあたかも一般の形成判決と同様主文どおりの内容がそのまま具体化されるわけであるから、問題の解雇処分の後に別個の雇傭契約の消滅事由が発生していない限り、反射的にではあるが本案判決の確定に至るまで雇傭関係の存続を仮に認めねばならぬ状態が現出することは、これを否定することができない。そこで、賃金仮払を求める第二の仮処分申請事件の審理に当る裁判所は、一旦前の仮処分で効力が停止されている解雇処分を有効と判断した上、雇傭関係が消滅したものと認めることができるかどうかという問題が生ずるわけである。しかしながら、一般に民事訴訟法第七六〇条の仮処分は、一定の被保全権利を前提とし、もつぱら当該仮処分の必要性をみたす目的のためのみに仮の地位を定めるにすぎないのであるが、一の被保全権利を前提として命ぜられた仮処分が他の被保全権利を前提としても正当であるとは限らず、また、必要性の内容は、仮処分の態様が異なれば同一被保全権利を前提としても一様であり得ないわけであるから、一の仮処分で形成された仮の地位は、被保全権利と必要性の両者又は一方を異にする他の仮処分申請事件の判断においてその存在を当然に承認しなければならぬものではない。これを本件について具体的に述べると、第一次仮処分で解雇の意思表示の効力を停止したことは、もとより本案判決と同じ意味において解雇の無効を終局的に宣したものでなく、解雇無効ないし雇傭関係存在確認訴訟を本案として、雇傭契約上の賃金債権その他の給付請求権(その範囲は、仮処分命令自体において明確になされていない。)の満足をもつぱら使用者の任意の履行に期待することを必要性の内容とし、その限度において一の仮の地位を定めたことを意味をするにすぎない。しかるに、第二次仮処分申請は、同じ雇傭関係を前提とする賃金債権を被保全権利とし、その一定額の仮払を執行力のある裁判で確保する必要のためになされたものであつて、その被保全権利と必要性の内容は、第一次仮処分のそれと類似しながらも完全に一致するものでないことは明らかであろう。また、債務者たる申立人が被る被害も、第一次仮処分と第二次仮処分とではその態様、程度を異にしていることはいうまでもないのである。したがつて、当庁は、右賃金仮払を求める第二次仮処分申請の許否を決するに当つて、第一次仮処分の形成の効果にとらわれることなく、これによつて効力の停止を命ぜられた解雇の意思表示が有効か無効かについて、独自の立場から判断することができたものといわなければならない。

以上説明したところをまとめて考えると、本件で問題となつている第二次仮処分命令は、解雇の意思表示の効力の停止を命じた第一次仮処分が先行しているからといつて、当然その拘束を受けてなされたわけではなく、せいぜい右第一次仮処分の判決書が第二次仮処分申請事件の疎明資料として、提出されていることから、同判決に示された判断が、問題の解雇処分が無効であるという心証を形成するについて、その程度は判然としないけれども積極的に作用したであろうことを推測し得るにすぎないのである。

ところで、第二次仮処分命令の後に第一次命令を取り消したところの控訴審判決の全文は、成立につき争のない甲第一号証により明らかであるが、同判決にあつては、申立人が昭和三〇年一月三〇日相手方に対してなした問題の解雇処分は、その効力を否定すべき事由が認められず、同日限り両者間の雇傭関係が終了したと解すべき旨判示されている。したがつて、第一次仮処分命令の存在が第二次仮処分を命ずるについて、その程度は前記のとおり判然としないけれども、積極的に作用したであろうことが推測できるのであるから、右控訴審判決が言い渡された結果、少くとも第二次仮処分を命ずるについて事実認定の用に供したと考えられる資料の証拠力に若干疑を挾んでみるべき事態が生じたものと、一応認めなければなるまい。

しかし、右第一次仮処分命令を取消した控訴審判決が言い渡されたことにより直ちに第二次仮処分命令の存続を不当とすべき事情が発生したものと見なければならないであろうか。以下この点につき検討を進めることとする。

元来仮差押又は仮処分は、疎明又はこれに代るべき立保証に基き被保全権利の存在についても単にその蓋然性を肯定した上で命ぜられるのであるから、後日その蓋然性を否定すべき事態が発生するにおいては、当該仮差押又は仮処分命令は、その存続を認むべき合理的根拠が失われるものといわざるを得ない。それ故、仮差押又は仮処分命令の後において被保全権利の存在を否定したところの債権者敗訴の判決が確定した場合はもちろん、その確定前であつても、裁判所が自由裁量によつて上級審において取り消されるおそれがないと判断したときは、事情の変更があつたものとして仮差押又は仮処分命令を取り消さなければならないのである(最高裁判所昭和二七年一一月二〇日第一小法廷判決・民集第六巻第一〇号一、〇〇八頁)。しかしながら、仮差押又は仮処分命令後その被保全権利の存在を直接又は間接に否定したところの他の仮差押又は仮処分申請事件の裁判は、前述のとおり、それが確定判決であつても被保全権利の存在しないことにつき既判力を有しないものであり、また、その被保全権利の存在を否定していること自体が疎明手続によつている点において、本案判決との間に根本的差異のあることを認めぬわけにはいかない。したがつて、かような他の仮差押又は仮処分申請事件の裁判の結果仮差押又は仮処分命令の取消事由たる事情の変更があつたものとするためには、その裁判で被保全権利の存在を否定したことが、本案確定判決でも必ずや是認されるであろうと思われる特別の事情が存在しなければならないと解するを相当とするけれども、かかる仮差押又は仮処分申請事件の裁判で認定した事項が本案確定判決でも是認されるであろうという蓋然性は、本案訴訟の事実審においてなされた債権者敗訴の判決が上告審でも取り消されずに確定するであろう場合に比し、一層少いものといわなければならない。なお、いわゆる労働関係の紛争事件については、本案訴訟がついに提起されることがなく、もつぱら仮処分訴訟で勝敗を決しようという傾向が顕著であり、また、この種の仮処分申請事件の審理は、疎明手続によるとはいえかなり鄭重になされるというのが多くの実務例であるけれども、だからといつて、これらの事情から直ちに前記の判断を左右すべきであるとはいえない。

それでは、本件で問題となつている第一次仮処分申請事件の控訴審判決が解雇の有効性を認定したことは、本案確定判決でもそのまま是認されることが確実であるといえるであろうか。再び前掲甲第一号証によると、右控訴審判決は、かなり鄭重な証拠調を経た上、詳細な理由を掲げてなされたものであるけれども、事案の焦点は、高等小学校を卒業しただけの相手方が、中学校卒業と経歴を詐称した上工員として雇い入れられ、勤続八年余に及んだ後、しかも労働組合の役員に当選した直後において、申立人が相手方を右経歴詐称を理由に懲戒解雇したことの是非にかかつていることが認められるのであつて、右は、解雇権の濫用の有無、不当労働行為の成否等の相当困難な価値判断を要求する法律上の問題を含んでいるものといわなければならない。それだからこそ第一審と控訴審とでは結論を異にしたのだと考えられる。控訴審判決は、かかる解雇処分も有効と判示しているのであるが、その当否についてはもとより経々に論断することができないところであるけれども、少くとも右の判断がより鄭重な審理手続を経た上でなされる本案確定判決においても覆えされるおそれがないという結論を出すには、些か躊躇せざるを得ないのである。

してみれば、右控訴審判決の言渡によつて未だもつて第二次仮処分命令の取消事由たる事情の変更にあつたものということはできないから、右事情変更に基く本件仮処分決定取消の申立を理由がないものとして棄却することとし、なお、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 前田治一郎 吉井参也 戸根住夫)

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